なぜ 美術を学ぶのか
ぼんやりしか見えず、また寝てしまいましたが、目に焼き付いてしまいました。
息子の電車熱がすごくて、よく米原駅に連れて行きます。
でも、描いたのは娘で、米原に「はやぶさ」は走りません。(笑)
絵を描くという子供なら誰しも行う自由さに教えられることは大きいです。
そして、大人になるにしたがって自由な目を失っていきます。
「絵は描けたほうがいいですか?」
そんな質問をよく受けます。
大学も三年生になって、就職という目標が見えてきて、絵を描けなければと学校に残ってデッサンしている人もいます。
絵が描ける描けないというのは、才能などと思われている節もありますが、そうではありません。
絵を描くというのは、手で描くことではなく、世界という現象をきちんと見ることなのです。
絵を描くことで世界のいろいろなことが見えてくると思います。
描ける人はみんなそのことを知っていますが、知らない人はそうは思っていません。
最近は受験という合理化で、美術を教える高校も減り、いろいろな意味で世界の偏りが顕著になってきました。
美術がなんの役に立つのか、それを説明するのは簡単ではありません。
ここに、私の大好きな文章があります。
今年亡くなってしまわれた彫刻家佐藤忠良さんの中学生へ向けた言葉です。
他に、小学生へ向けたもの、高校生へむけたものもあります。
これらは、大学生へ向けても十分な内容のものだと思います。
こういう文章が載った教科書が無くなってしまっているのはとても残念であります。
美術を学ぶ人へ
佐藤忠良
美術を学ぶ前に、私が日ごろ思っていることを、みなさんにお話します。
というのは、みなさんは、自分のする事の意味ーなぜ美術を学ぶのかという意味を、きっと知りたがっているだろうと思うからです。
私が考えてほしいというのは、科学と芸術のちがいと、その関係についてです。(中略)
科学というのは、だれもがそうだと認められるものです。科学は、理科や数学のように自然科学と呼ばれるものだけではありません。歴史や地理のように社会科学と呼ばれるものもあります。
これらの科学をもとに発達した科学技術が、私たちの日常生活の環境を変えていきます。
ただ私たちの生活は、事実を知るだけでは成り立ちません。好きだとかきらいだとか、美しいとかみにくいとか、ものに対して感ずる心があります。
これは、だれもが同じに感ずるものではありません。しかし、こういった感ずる心は、人間が生きているのにとても大切なものです。だれもが認める知識と同じに、どうしても必要なものです。
詩や音楽や美術や演劇ー芸術は、こうした心が生みだしたものだと言えましょう。
この芸術というものは、科学技術と違って、環境を変えることはできないものです。
しかし、その環境に対する心を変えることは出来るのです。誌や絵に感動した心は、環境にふりまわされるのではなく、自主的に環境に対面できるようになるのです。(中略)
人間が生きるためには、知ることが大切です。同じように、感ずることが大切です。
私は、皆さんの一人一人に、ほんとうの喜び、悲しみ、怒りがどんなものかがわかる人間になってもらいたいのです。
美術をしんけんに学んで下さい。しんけんに学ばないと、感ずる心は育たないのです。
株式会社 現代美術社1981年(昭和56年)発行